続・脱力日記

描いたり作ったりしてる人のダラダラ日記

八橋人形

 この春からなんのご縁でしょうか、昨年廃絶となった「八橋人形」の保存継承活動にかかわるようになりました。八橋人形は秋田市に江戸時代から伝わる県内では数少ない郷土玩具です。まったく垢抜けない土人形で、初めて見た時にはただただ古くさい物だとしか思えませんでした。
 それが取材で何度か最後の職人・道川さんの仕事場や仕事ぶりを見るうちに、物作りの周辺にいる人間としてなんとなく親近感が湧き…。仕事がらみで羽州街道の八橋あたりを歩いたり歴史に触れるうちに、その成り立ちに興味が深まり…。人形好きの方たちの古くて良質なコレクションを拝見するうちに、その物としての魅力に気づき…。はっと気づいたら「八橋人形伝承の会」の会員になっていて、今は来月9日からの展示販売会に向けドタバタとしている次第です。
 「八橋人形伝承の会」は道川さんが亡くなった後、生前の道川さんと関わりのあった人たちを中心とした有志で立ち上げた会です。道川さんから人形作りの手ほどきを受けた会員も多いのですが、それもだいぶ昔の事であり、人形作りはほぼ初心者ばかりというのが現状です。それでもとにかく八橋人形を失くしたくない思いだけで、ほこりをかぶっていた型や素焼きが散逸しないようにまとめ、分類し、保存できる場所を確保し、窯を移設し、残された素焼きに絵付けし、残された型であらたな人形も作っています。
 会が正式に発足したのが今年の4月、窯の移設ができたのが6月ということを考えると、12月に展示販売会というのはとんでもない早さだと思います。技術力がまったく追いつかずその点忸怩たる思いがあるのですが、ここは会長以下会員たちの八橋人形に寄せる熱意に免じてご覧いただきたいし、会の今後の活動へのエールという意味で一つでもお買い上げ下さればありがたいです。
 が、それにつけても。やみくもに走っている中でふと「残すって何を?」という思いも湧くのです。人形の形そのもの?人形作りの伝統的な技法?地場産業として?


 山形県酒田市に鵜渡川原人形という土人形があります。八橋人形と同じように京都の伏見人形の流れを汲む江戸末期から続く人形です。20年も前に廃絶を心配した人たちが伝承の会を発足させて保存、制作活動を続けています。10月に会の中心の本間さん、松浦さんにお話を伺う機会がありましたが、彼女たちははっきりと伝統技法を残すのが目的とおっしゃってました。
 昔ながらの技法とは、溶かした膠に顔料を混ぜた絵の具で絵付けをするもの。今も全国各地でさまざまな土人形が作られ続けていますが、この方法で絵付けをしているところはごくわずか。ほとんどの工房が使い勝手の良いアクリル系の絵の具を使うようになっています。
 八橋人形伝承の会でもその例にもれず、会として制作している人形はすべてアクリル絵の具で絵付けをしています。道川さんは最後まで膠を使っておられましたので、絵付け技法という点でいえば「残している」とはいえません。早く形あるものとして復活させたい、経験と勘にたよる伝統技法に会員の技術がとても追いつかない、新しく便利な技術を取り入れることも大事、などの理由での選択ではありますが、だからといって伝統技法はすっかりなかったことにして良いわけでもないでしょう。


 先週、道川さんの残した素焼きを手に再度酒田市におじゃましてきました。今度は本間さん、松浦さんに伝統技法の手ほどきをうけるためです。素焼きにのばした胡粉の柔らかな白、その上に色を乗せた時のぽってりとした描き心地。ああ、江戸の昔から職人たちはこの感触を感じていたんですね。アクリルで絵付けをしている時にはなかった不思議な感じでした。



見本に持って行った道川さんの作った花魁人形。
お顔の表情を見ると一番脂ののっていた時期のものでしょう。



見本を見ながら描いた私の花魁人形。
手が全然こなれてなくて、やっぱり数を稼がないといいものは描けないんでしょうね。



 まだまだ始まったばかりの活動です。展示会が終ったらじっくり腰をすえて「八橋人形を残すこと」とはどういうことなのか、その意味を考えてみたいと思います。